先日とある大学の先生のセミナーで、こんなことを聞きました。
「今後多くの作業がA.I.に取って代わられるが、A.I.には出来ないことがいくつかあります。そのうちの一つが”意味を見出す”ことです」
その先生の話では、 A.I.は予めプログラミングされたシステムにのっとって、答えを導き出すことができる。でも「なぜ自分はこれをやるのか?」という意味を見つけることは出来ない、ということでした。
点と点を繋ぐ、と見えてくる
「なぜ自分はこれをやるのか?」という疑問が浮かびやすい例の一つは、組織で上から降りてくる目標ではないでしょうか。
例えば月間400万の売り上げを上げることが、自分の生活や、人生に関りがあるように感じられない。自分の外側にある点と、内側にある点が結びつかないとき、人は中々積極的には動けない気がします。
もちろん営業そのものが好きだったり、目標を達成することが好きな人もいるでしょう。そういう場合は、営業のプロセスが楽しい、達成の瞬間が好き、という自分の内側と繋がって線になるのだと思います。
今の自分と繋がらないときは、少し先の未来に点を創ってみるといいかもしれません。
例えばこれをやることで、私は1年後にどうなっているのか、3年後にどうなっているのか、という問いを自分に立てます。
焦点を、未来へと移動するのです。
売り上げ400万の目標を達成することで、手に入れられる能力やスキルがあったり、自分の成長に大きく役立つかもしれません。未来に置いた点と、今ここにいる自分が繋がれば、そこに自分なりの意味を見出すことができます。
組織で上司が部下のためにできること、またコーチがクライアントに対してやっていることも、この「点と点を繋ぐ」サポートなのだと、私は思うのです。
冒頭の大学の先生は、学生の相談にのる機会が多くあり、
「人のA.I.化が進んでいる」
と言っていました。
特に小さいころから、親や先生の言われたとおりにやってきている学生ほど、
「どんな仕事をやりたいの?」と尋ねても
「分かりません」
という答えが返ってくることが多いそう。
親や先生が正解を持つことによって、自ら答えを生み出す力が、弱くなってしまうんですね。
上司に言われたとおりにただやる部下が重宝された昭和の時代。これからは、言われた通りにやる、正解を探す、という部分はA.I.が担ってくれる。
人間の役割は、創造すること、意味を見出すこと、主体的にチャレンジすること、へと移行していきます。
結ぶ力は、「考える力」
では、点と点を結ぶ力の強弱は何からきているかというと、シンプルに「思考力」なんじゃないかと私は考えています。
思考力と言っても、新しいアイディアについて考える、過去を思い出す、相手の立場で想像してみる、色んな要素があると思います。
この思考力が弱っていると、
「この課題に取り組むのに活かせそうな、過去の経験は何ですか?」
と尋ねても、ほぼ間を置かずに
「思いつきません」
「ありません」
と、返ってきます。
実際に経験があるかどうかよりも、考えること、自分の思考に潜ること自体を諦めてしまっているように感じることもあります。
思考力が育ってくると、同じ問いを投げかけても、アプローチが変わってきます。役に立つ経験があったかどうか定かではないけど、ひとまず自分の内側に潜ってみるか、という感じです。
そうするとたいていの場合、
「そういえば、高校生の部活で~」とか
「そういえば、前の前の職場では~」とか
ヒントになる経験が出てくることが多いのです。
人はリソースの宝庫です。例えばパソコンのように、同時にいくつものフォルダを開くと動きが鈍ってしまうので、普段は忘れてしまっている。でも記憶の奥深くには、ちゃんと色んな経験や学びが、豊富に蓄積されているのです。
「思考力」を鍛える
思考力は筋肉のようなものなので、普段から使っていないと、どんどん衰えていきます。思考の筋トレをするには、正解を探しがちなイエス・ノーで答える質問(クローズドクエスチョン)よりも、クリエイティブに自由に答えられる質問(オープンクエスチョン)について考える習慣を持つことが大切です。
オープンクエスチョンは一般的に5W1Hで表現できる質問。
例えば
・わたしはなぜこれをやりたいのか?(Why)
・わたしはいつまでにこれを達成したいのか?(When)
・わたしはどこでこれをやるのが心地いいのか?(Where)
・わたしは誰とこれに取り組むのか?(Who)
・私は何を始めたいのか?(What)
・わたしは今どのように感じているのか? (How)
などです。イエス・ノーで答えられる質問と違って、思考に広がりと深さが生まれるのが特徴です。
以前フランスで生活していて驚いたのは、この国では小学校の頃から
「どんな大人になりたいの?」
「どんな風にやってみたい?」
「なぜそれをやりたいの?」
など、オープンクエスチョンに答える機会がたくさんあるということでした。
一方で日本の学校教育では、一般的に「正解」を探すことを求められることがほとんどです。国語の教科書に出てくる主人公の心情にでさえ、模範解答がある。
自分自身の答えを生み出すことが苦手、というのは、日本の教育システムからいくと、ある種当然の結果であるようにも思えます。
実は私自身もコーチングを始めたときは戸惑いました。 コーチングの質問は大半がオープンクエスチョンなのですが、正解が無い質問に答えることに慣れていない。
ただ繰り返しやっていると、思考力は育っていきます。自分の内側にあるリソースを見つけに行くのも早くなるし、何より点と点を繋ぎやすくなります。
「遊び」を忘れない
点と点を繋ぐ力を育てる上で、ちょっと逆説的なのですが、どこにも繋がらないような「遊びの点」も、実はすごく大事なのです。
建築の世界では動くものに対して、「遊び」を持たせます。例えば障子が溝に対してピタっとはまっていると、スムーズに動くことができません。ある程度余裕を持たせることによって、すーっと楽に動かせるのです。
何の役にも立ちそうにないこと、時間の無駄に思えるようなことだけど、とにかくやっていると楽しい、ワクワクする、そういう点を人生に取り入れることを躊躇わない。
意味のありそうなこと、将来何かを手に入れられることばかりを追いかけていたら、人生はとても動きにくく、窮屈な感じになってしまう気がします。
何か行き詰まりを感じている、上手くいかない、というときは、視野が狭くなっていて、見えている点が極端に少ない状態なのかもしれません。
遊びの点を周りに見つけることで、自然と視野が広がり、繋がらないように思えた点が、いつの間にか繋がっていた、そんなことも起こります。
自分なりの「意味を見いだす」=点と点を繋ぐことは、価値を見つけることだとも思うんですよね。人生には教科書もなければ、正解もなくて、どんな答えもOKだから。
自分の納得できる価値をそこに見つけること、意味を見いだすことが、自分らしい豊かな人生を送ることへと、繋がっていくと思うのです。
