「当たり前にあったもの」を無くしてみる

Flying Tigerの文房具が好きだ。
北欧らしいというか、シンプルで無駄なものを削ったデザインが、自分の好みによく合う。

京都の中心街にもお店があって、街中に出かける度に「何か面白いものに出会えるかも」と、よく河原町通り沿いのショップを覗いていた。開放感ある空間に所狭しと並べられた雑貨たちは、しっかりとした素材で可愛いのにとても手頃な値段で、「何をどうしたら、この金額でこの商品が作れるんだ?」と思ったものである。

今年の始め、いつも通りカレンダーを買いにFlying Tigerに出かけたら、なんとこの正月で閉店するという。正直「でしょうね」という諦めにも似た気持ちと、「閉店するぐらいなら、もっと妥当な値段に上げてくれて良かったのに~」という、なんとも言えない気持ちになる。もちろん、ちょっと値段を変えたところで状況が変わるほど、シンプルな問題でもないでしょうけど。

う~む、どうしたものか。オンラインショップで買うという手もあるけれど、出来るならカレンダーは今日手に入れたい。ということで、道を挟んで向かいのLOFTに向かい、カレンダーのコーナーを覗いてみる。

種類はたくさんあるのに、日本のカレンダーはどれも私にはゴテゴテして見えてしまう。ひとまず「赤口」とか「先負」なんていらないし、なんなら祝日の表記さえも無くていいし、なぜか土日祝が赤色になってたりするのも必要ない。

そんなことを考えながら見ていたら、「このカレンダーならいいか」と思えるような、比較的シンプルなものを見つけた。あくまでも「これがいい」ではなく、「これでもいい」だ。どんな上から目線なのか、と自分でも思うけれど、ようは「妥協」したのである。

そのカレンダーを手に取りレジに向かおうとした瞬間、ふと少し前に旅した南米のジャングルが目に浮かんだ。そういえば、あの時カレンダーは無かったよな、でも欲しいとも思わなかったよな。同時に、私の中に疑問が湧き上がる。

「そもそも私、本当にカレンダー必要なんだっけ?」

部屋にカレンダーを置くことは、毎年当たり前のように習慣になっていた。年末に近づくにつれて、街中のお店に増え始める特設コーナーを見て、「ああ、そろそろカレンダーを買わなくちゃ」と思うのだ。

けれども、よくよく考えてみると、わたしは自分のスケジュールを全てGoogleカレンダーで管理していているのだ。

あの壁にかかった紙のカレンダーを見て「今日は何日だっけ?」と、カレンダーの本来の機能を使ったことが昨年何回あっただろうか。思い出す限り、5回も無い。

と、いうことは、だ。おそらく私は、カレンダーが壁に無くても、多分なにも困らないのである。Flying Tigerのカレンダー、まさかの部屋のインテリアと化していた件。

いささか衝撃の結論に行きついた私は、カレンダーをそっと棚に戻しLOFTを出ると、クロスバイクで家路についた。なんで何年も気づかなかったんだろう?「当たり前」の威力、恐るべし。

家に入ると早速、壁にかかっていた昨年のカレンダーを外す。A4二枚分だけ空いた、真っ白な何も無い空間。なんだかちょっと、気持ちが良い。

そうだ、今年のテーマは「シンプル」にしよう。海外旅行にいく時は、スーツケース一つで生きていけるのだ。ということは他にも、当たり前のように自分のスペースを埋めているけれど、実はいらないものがあるに違いない。

空間も、時間も、人が持てるスペースには限りがある。新しいものを自分の人生に迎え入れたければ、まずはスペースを空けることを考えなくては。

何かを引くことは、足すことよりも、少しだけ勇気がいるけれど。

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