「静寂(Silence)の時間」が生み出すもの

11月の後半から12月にかけて、ペルーのマチュピチュの近く「聖なる谷」で、とあるリトリートに参加しておりました。世界中から集まった参加者と一緒に過ごす4泊5日のテーマは「Silence」。日本語だと「静寂」とか「沈黙」などの意味がありますが、日常ではまず味わうことの無いとてもユニークな体験を通して、様々な気づきがありました。

備忘録的に、少し言葉にしてみたいと思います。

静寂を、埋めていくもの

「これから数日の間、話してはいけません。アイコンタクトをとってもいけません」

というグループのルールを初日に聞いた時には、正直驚きました。リトリートのテーマが何であるかは知っていましたが、まさか実際に沈黙し続けるのだとは思わなかったから。しかも滞在する部屋には、今回初めて会うルームメイトがいる。

自分一人でいるときに沈黙する人はいても、初対面の人と一緒にいて全くコミュニケーションを取らずにいる、という状況はあまり無いのではないでしょうか?人間は「余白」を嫌う生き物だと言われています。沈黙の時間が苦手で、むしろ自分から話しかけていくのが得意という人もいるかもしれません。

初日はとにかく違和感があって心地悪かったのですが、「余白」が誰かとのおしゃべりで埋まらない時、その空間は別のもので満たされていきます。例えば鳥の声や風のうねりなど自然がもたらす音、スパイスやハーブの香り、野菜を噛んだときの食感など、五感に関わるもの。そして何よりもよく聞こえたのは、普段は小さな小さな囁きでしかない「自分の心の声」。

少し言葉で表現しにくいのですが、「空間を埋める」のではなく「空間が何かで埋まっていくのを観察する」ようなイメージでしょうか。「今、ここにいる」=マインドフルネスな状態が自然に生まれるような、そんな感覚もありました。

自分のままでいる、ということ

この「今、ここにいる」という体験ですが、それ自体は私にとって新しいことではありません。というのも、もともと「静寂の時間」が大好きで、クロスバイクに乗ってお寺や自然の中に出かけ、ただただその瞬間を楽しんだり、内省に耽ることは常だったから。

ただしそれはいつも、自分が一人でいる時の話。今回の旅で新しかったのは、「誰かと一緒にいる」時に自分との対話に集中する時間を持ったことでした。人と一緒にいても相手のことが全く気にならない、という人も中にはいるかもしれません。ですが、少なからず相手のペースに合わせたり、相手の考えていることや感じていることを考慮に入れるようにしている、という人は意外に多いと思うのです。特に日本人はこの「合わせる」ということが、無意識のパターンになっている人も多いのではないでしょうか。

それはもちろん、他者と一緒に生きていく上で、互いが心地よく過ごすために大切な要素のひとつだと思うのです。一方で、私は時折そこに「完全には自分でいられない」ような、ある種の違和感のようなものも感じていたのです。

リトリートの静寂の中でわたしが見つけたものは、「相手のリズムに合わせない」という感覚でした。初日こそ、一緒にいるにも関わらず、お互いに相手を(全く)気にしない、というこの状況に居心地の悪さを感じたのですが、それは少しずつ「そのままの自分を保ちながら、同じ空間を共有する」という不思議な感覚に変わっていきました。

何時に寝て何時に起きるのか、ご飯を食べるタイミングや休憩時間の過ごし方、一日三回あるワークをどのように体験して何を感じるのか。皆それぞれ違っている。でも、それでいい。

わたしには私のリズムが、あなたにはあなたのリズムがある

いつでも、どこでも、相手を気にかけたり合わせたりするのではなく、必要になった時に「〇〇してほしい」「手伝って」と、お互いが素直に言える関係でいること。それってお互いがそのままの自分でいられる、とっても心地よい空間だなあと。

日々の生活に、静寂の空間を

今回のリトリートでは「静寂」の時間を通して、「あ~幸せだなあ~」とじんわり満たされていく瞬間が何度もありました。Wi-Fiも繋がらない、人とも話せない、手元にも最低限の荷物しかない、そんな「無い」尽くしの状況にも関わらず、自然の美しさや、誰かの優しさや、それこそ「今、生きている」という感覚が確かに「ある」と、強く感じられたのです。

「静寂」の時間は、普段の私たちの生活にどれだけあるでしょうか?情報が増えて、選択肢が増えて、世界がどんどん忙しくなっている。それなのに、私たちはそんなにたくさんのものに囲まれているにも関わらず、どこか欠乏感を感じて、小さな時間の隙間さえSNSや様々なもので埋めようとしてしまう。

「何かが足りない」と感じる時、私たちに本当に必要なことは「ただ余白をそのままにしておく」ことなのかもしれません。足し算よりも、引き算。忙しい毎日の中でぽっかりと空いた空間には、きっとあなたが予想もしない色んなものが飛び込んでくることでしょう。

「静寂の時間」を持つためにペルーの山奥まで出かけて行くのも悪くないアイディアですが、もっと近場で始めてもいいかもしれません。例えばPCやスマホを全く触らない一日を作ってみたり、ただゆっくり5回、深呼吸するだけでも。

世界に溢れる不思議を迎え入れる「余白」を作ること。
それは人が幸せに生きていく上で、欠かせない空間なのではないでしょうか。

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