余白の美~Make it simple.~

ものづくりをする時、「足し算」か「引き算」かどちらかと聞かれたら、私は「引き算」の方が好きだと思う。

昔からそうだったかというと、そんな事はなく、数年前に一緒に働いたシェフの存在が大きく影響している。その人は見た目からして侍の生き残りのような人で、いつも凛としていて、刀で切ったような無駄のない仕事をし、時間ぴったりに職場を去る人だった。

料理の作り方にも当然哲学があって、子羊の料理に稾を合わせたり(子羊の寝床)、鱈に同じ海で取れる海藻を合わせたり、そこにはいつも素材のストーリーがあった。

そんなわけで、自分の感覚だけでデザートを作っていた私には、当然鋭いツッコミが入った。
「これ、なんでここに置いたの?」
「このスパイスを合わせた意図は?」

はたから見ると非常にめんどくさいやり取りなのだが、有難いことにそれ以来わたしは「何のために?」を考えるようになり、必然的に余分なものが無くなって、引き算のデザートを作るようになった。やたらと花やハーブで飾り立てるのを止めたのだ。

例えば「色」を引き算する。白一色のデザート。色に目を奪われないので質感が引き立つし、香りや味もより明確にとらえられるように感じる。もっと細かく言うと、白の中にも色々な白が存在することに気づきやすくなる。

引き算は、洗練された美しさと、余白を生み出す。所狭しと立ち並ぶ桜並木よりも、山寺の門前に凛と立つしだれ桜に妙に惹きつけられるように、「何も無い空間」があるからこそ主題が引き立って見える。

夏の南フランスをそのまま写し取ったかのようなカラフルな「足し算」の料理も嫌いではないけれど、それでも風がそよぐぐらいの余白は残してほしいと思ってしまう。お皿の上のスペースを残さず埋めて、足りない色を全て補ってしまったら、自分がそのストーリーの中に入ることさえ難しそうだから。

「欠けているものに美しさを感じる感性」は、日本人のDNAに深く刻まれている。余白は、見ている人を想像に誘うためのスペースだ。

最近時々、引き算の世界を懐かしく思い出す。人生に必要なものもまた、足し算ではなく引き算ではないだろうか。

私たちが問うべきなのは「何が足りないのか?」「何を加えるべきか?」ではなく、「何が過剰なのか?」「何を止められるのか?」なのかもしれない。同時に、引き算をするためには「主題が何であるのか」を分かっている必要がある。自分にとって本当に大切なもの、これだけは外せないもの。

ーMake it simple.
シンプルに。

迷うぐらいなら削ろう。足すことはいくらでも後から出来るのだから。

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