世界の果てで~At the edge of the world~

「本気で言ってる?」

私はぎょっとして、隣で小学生みたいに、ピンと手を挙げている彼に言った。
「え、ごめん。実は早口やったから、あまりよく分かってない。今何て言ってた?」

ああ、良かった。ガイドの英語が聞き取れてなかっただけだ。さっきの話聞いて、それでも行きたいなんて言わないよね、普通。

「ここの部族の人達は、神聖な場所だと思ってるんだって。だから祭事のとき以外は、誰も登れないらしいよ。彼らの掟では」
「ふ~ん、でも一応観光客は登れるんでしょ? じゃあ、僕登りたい」

彼はそう言って、手をよりピンと伸ばした。バスの周りの乗客からは、よりいっそう、冷たい視線が注がれる。ああ、もう、日本人じゃなくても空気読んでるのに。

ドライバー兼ガイドの若いオーストラリア人が、少し声を強めてもう一度尋ねた。
「ここは、彼らにとって神聖な場所で、彼らは観光客が登るのを好んでいない。それでも君は登るの?」
「イエス」
彼の意志は揺らがない。

わかった、とドライバーが呆れた様子で言うと、それきりバスは静まりかえった。

「世界のおへそ」とも言われる、オーストラリア大陸の一枚岩「ウルル」。

かつてはエアーズロックと呼ばれたこともあるこの場所は、今はその持ち主である原住民、アボリジニ達の言葉で、ウルルと呼ばれている。2泊3日を一緒に旅する私たちのガイドは、レンジャーと呼ばれる国立公園の守護者みたいな人で、彼らの役割はこのアボリジニの文化を伝え、守ることでもある。

5万年以上も前からこの地に住んでいる彼らからすると、観光客のウルル登山は言語道断らしいのだが、観光業はこの土地の重要な収入源。つまりは大人の事情で「ウルル登山は自粛して」に留まっているらしい。

バスは今朝、ウルルの最寄りの町アリススプリングスを出発したところ。最寄りと言っても500㎞はあって、目的地に到着するのは夕方らしい。

「食事は自炊で寝袋持参」というこの格安キャンプツアーに参加しているのは、10か国以上から集まった30人近い人々。私は2年半のオーストラリア生活の締めくくりに、ちょうどワーキングホリデーで渡豪していた同い年のいとこと、このツアーに参加していた。

バスは何も無い赤土の大地に、真っ直ぐ、真っ直ぐに続く道を、時速100㎞ぐらいでとばしている。最初はいかにも冒険っぽい景色にワクワクしたけど、おそろしく変化が無いので、30分もしないうちに飽きてしまった。

3時間ぐらい走ったところで、バスは荒野のど真ん中にあるガソリンスタンドで止まった。外気温は47℃。暑いを通り越して、もはや溶けそう。

街中のコンビニの2倍の値段で売られている生ぬるいコーラを飲み、陽炎の向こうに映る広大な景色を見て思う。ここは世界のおへそというよりも「世界の果て」のようだ。自分がいた世界から、とてつもなく遠い場所。

夕方、ウルルの近くにあるキャンプ地で、バスは止まった。食パンにハムときゅうりを挟んだだけの夕食で空腹を満たしたら、日の出に備えて寝袋で横になる。時間はまだ夜八時ぐらい。

私達と同じように寝袋におさまったガイドが、上半身だけ起こして皆に言った。
「稀にディンゴと呼ばれる野生の犬が、キャンプ地にエサを求めてやってくる。悪さはしないから、もし来てもおとなしくしてるんだ。エサが無いと分かったら、どこかに行くから」
ますます冒険ぽい、と思ったのもつかの間、昼間の移動の疲れからか私はすぐ眠りに落ちたらしかった。

その日の夜中。
「ハッハッハッハッ」
という、何とも言えぬ鼻息のような音で、目が覚めた。

なんだろ?誰?え?まさか変態?
いやいや、ここはオーストラリアの荒野のど真ん中だ。そこまで考えてから、さっきのガイドの言葉が頭で蘇った。ディンゴだ。たぶんディンゴの群れがそこに来てる。

怖くて目を開けられない。ただその野生の犬は、どうやらクンクン匂いを嗅ぎまわっているようだった。ガサガサ辺りを物色していたが、何も無いと諦めたのか、やがて音が遠ざかっていく。

辺りに聞こえる音が完全に消えてから、そっと目を開けてみる。

すると、そこには視界いっぱいの満天の星空が広がっていた。
「星って、こんなにたくさんあったんだ………」

日本ならすぐに見つかる北極星もカシオペア座も北斗七星も、どこにあるのかさっぱり分からない。それぐらい明るい光を放つ星が密集している。昼間の暑さが嘘のように、頬に触れる空気がひんやりしていて。空気が澄んでいるから、ひとつひとつの星がいっそう輝いて見える。

私はしばらく、その光景から目を離せないでいた。綺麗すぎて。瞬きをするのがもったいないような気がして。硬い土の上に寝っころがったままずっと、今にも降ってきそうなたくさんの光の粒を眺めていた。

ふと、今この場所にいる自分を不思議に思う。

オーストラリアに移住する、帰国を決意する、最後の旅に出る、国籍ミックスのツアーに参加する。そんな自分の選択の積み重ねが、今この瞬間に自分を連れてきてくれた。

人生はいくつもの分岐点がある物語だ。決まった正解ルートなどなくて、どの道を選んでも面白いことが待ってる。だからこそ、自分の直感を大事にしたい。「この道を進むとなんだか面白そう」と感じた時、色んな理由をつけて無難なアスファルトの道を選ぶんじゃなくて、雑草の中を、砂漠の中を、歩いていける自分でいたい。

翌朝、いとこは宣言どおり一人でウルルに登り、私は他の人達とウルルの周りを一周した。アボリジニの描いた壁画を眺めて歩きながら仲良くなったフランス人に翌年パリに招待されるのだから、自分の選んだ選択肢がどんな物語に繋がっていくのかは、本当に予想がつかないものだ。

旅に出ると時折、普段の自分なら選ばないような道を選ぶことがある。それはきっと「次のチャンスはもう無いかもしれない」そんな風に本能が囁くからだろうと思う。でも本当は、人生そのものが旅なのだ。この物語にはリセットボタンが無い。

日常の中でもし選択に迷うことがあったら、私は自分にこう尋ねたい。

「もし旅先にいるのだとしたら、あなたはどの道を選ぶの?」

《ウルルの現在》
私が訪れた2009年から時は流れ、ウルルは2019年10月26日から登頂禁止となりましたが、ウルル周辺にはそれ以外にも魅力的なスポットがたくさんあります。「風の谷のナウシカ」の景色に似ていると言われるマウントオルガ、まるで異世界のようなダイナミックな景色が広がるキングスキャニオンなど。

一生に一度は、訪れたい場所の一つです。

Uluru

67 Yulara Drive, Yulara, Northern Territory,
0872, Australia

Australia Northern Territory(日本語)

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