【12/21(土)】Re:Book~ひとつの物語から始まる対話の空間~「奉仕(Service)」

誰から教わったの?~Who did you learn from?~ 

「My point of view」は、旅先で出会ったことや日々の生活で気づいたことなど、私の世界の捉え方をエッセイ調で綴ったシリーズです。


職人時代、オーストラリアのメルボルンで働いていたレストランに、1人の日本人が求人募集を見て訪ねてきたことがあった。

履歴書にはシドニーで知らない人はいない、ある有名日本料理店の名前が書かれていて、スタッフは「すごい助っ人がくる!」と色めきだった。
 
ところが、一日のトライアル(試用)に来てもらった後、オーナーは彼の採用を見送った。

詳しく聞いてみると、彼がその有名店に勤めたのは、ほんの一年ほど。その間ほとんど、ジャガイモの皮をむいたり、野菜の下処理だけだったらしい。

「有名店にいたことではなく、彼自身が何を出来るかが大事だから」
とオーナーは言った。実力主義のオーストラリアの料理人らしいセリフだ。

 
自分で言うのもなんだけれど、私が専門学校を卒業してから東京で働いたお店は、当時おそらく日本で一番有名な、カリスマパティシエの店だった。一日20時間労働という無理がたたってドクターストップがかかり、結局一年で辞めてしまったけれど。

一番下っ端で採用されて、掃除と洗い物と計りものと、仕事のほとんどを雑用で過ごした。学んだものがあるとすれば、それは「根性」だけだったと思う。
 
それなのに私の履歴書は、まるでどこにでもいけるパスポートのように、どの店での面接でも有利に働いた。「あの○○シェフのところにいたんですね!」と。
 
心の中では、私はいつも痛感していた。
「すごいのは、そのカリスマシェフであって、私自身ではない」
と。有利に働くのは最初だけだ。現場に入ればすぐに、出来るかどうか分かる。

有名な人から教わったことは、自分が有能であることの証明にはならない。そう、その時強く思ったんだと思う。
 
オーストラリアのレストランに勤めた時にも、その考えはより強くなった。冒頭のレストランのオーナーは私にも同じことを言ったから。
「履歴書だけでは何もわからない。トライアルにひとまず来てくれ」
と。
 
職人としてのキャリアの途中で海外に出たことを、勿体ないという人もいた。でも私にとっては、すごく価値があったと思う。
 
自分ではない誰かが創りあげた価値に便乗して、自分を売り込むことが出来なかったから。海外の採用の現場では、実力がすべてだった。そのうち、自分自身のスキルを磨くことに集中していたら、有名な人から習ったことを、自分のウリにする必要すら無くなった。
  
私は、「わたし」をウリにすればいい。
  
ハリボテで出来た要塞は脆い。いつか剥がれるときがくる。自分を守っていたものが無くなり、「わたし」だけになったとき、自分はどんな人なのか。むしろそっちを、人は見ていたりするものだ。
 
ツールや資格や実績や有名人との繋がりを集めたら、「わたし」の価値が上がる?むしろ何もない自分に価値があるんだって、そう心から思えた時、私は届けられるような気がする。
 
あなたには、そのままで価値があるのだということを。