【12/21(土)】Re:Book~ひとつの物語から始まる対話の空間~「奉仕(Service)」

「言葉にする」ことは、あなたの世界に何をもたらすか

双眼鏡を覗く子供

「なぜ、私は文章を書くのか?」
そんな問いが浮かんできたのは、先週のマイコーチとのコーチングセッションでのこと。そもそものテーマは、よくある「ブログを書くモチベーションを上げたい」だったのですが、話しながらなんとも根本的な質問に辿りついてしまいました。

ブログを書くときにはさらさらっとは書けないし、自分の文章をコピーされることにもすごく抵抗感を覚えるし。どうやら「言葉にする」ことは私の中で、何か重要な意味があるらしい。

ということでこの記事では、ブログやSNSなどの「文章にすること」、そしてコーチングセッションなど誰かとの対話で「話すこと」に共通する要素、「言葉にする」について考えてみました。

「言葉にする」とき、頭の中で何が起きているか

小学生の頃、プールの授業で「碁石拾い」という遊びをやったことがあるでしょうか?学校によっては、碁石の代わりにリングやキューブ状の何かだったりして、先生がプールに投げたアイテムを皆で宝探しゲームのように見つけるアレです。

「言葉にする」ということは、あの碁石拾いに似ているなあと思います。どこにあるか分からない「形ある何か」を、一生懸命見つけに行くプロセス。水に潜った瞬間はすぐには見えず、潜り続けているとふと視界に映ったりする。深いプールほど見つけるのが難しく、息が苦しくなったり、時々諦めたくなったりすることも。ただ、最後のひとかきで手に硬いものが触れて、それを掴んで水の上に上がった時、ちょっとした達成感があるんですよね。

人が何かを「言葉にする」とき、同じようなことが思考の海で起きているような気がします。深い思考であればあるほど見つけるのが難しいし、中々見つからないと苦しくなったりもする。誰かが碁石に向かって泳ぐのを見て、その場所を特定するように、思考に「他者」が介在する時、より言葉にしやすくなることもあるような気がします。

「言葉にする」とき、得るものと失うもの

そもそも「言葉にする」とき、私達は何を得ているのでしょうか?
会話であれ、文章であれ、言葉にすることで得られるものは少なくとも2つあると私は考えています。

  • 頭の中にスペースが出来る
  • インスピレーションの種になる

まず一つ目は「頭の中にスペースが出来ること」。言葉にしていない段階って、自分の考えや思いが頭の中で積乱雲みたいにグルグルしている状態だと思うんですよね。で、話したり書いたりすることで、その雲が無くなって青空が見えてくる。つまりは「思考がクリアになる」というか。「言葉にする」ってもしかすると、思考の空に風を吹かせることなのかもしれません。

もう一つは、自分にとっても、誰かにとっても、「インスピレーションの種」が生まれるということ。自分でもとっても不思議なのですが、このウェブサイトには何年も経った今でも読まれ続けている文章、シェアされる文章があります。「あ、これ響くなあ」と感じた誰かがTwitterでシェアしてくださったり、その方の気づきがまた他の誰かに届いたり。インスピレーションの連鎖が起きていくのって、なんだか素敵だなあと思うのです。

自分自身に対しても、その時の気づきを言葉にしておくことで、年月が経ってからまた別の自己探求が始まることもあります。ノートと違って、ブログという読み返しやすい媒体を使っているのも理由の一つかもしれません。

これらは自分の洞察を言語化したからこそ起きたこと。頭の中に眠らせておいたら、自分自身も含め、誰の世界にも働きかけることは無かったと思うんですね。「インスピレーションの種」が芽吹くのが、何か月後なのか、何年後なのか、それは誰にも分からない。でも、数年間文章を書いてきて思うのは、人の気づきは本人が思っている以上に「誰かの糧になる可能性がある」ということです。

反対に「言葉にする」ことで失われるものは、あまり無いのではないかと思っているんですが、敢えてあげるとするなら、

  • 一番重要なもの以外は沈んでいく

ということでしょうか。

人は一日60000回、自分自身と話していると言われています。実際に言葉にしているのは、そのうちのごくごく僅かでしょう。何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。つまり、自分が選んだ言葉で表現しきれなかったものは、また思考の海に沈んでいくことになるのだと思うのです。

誰かと話していて「いや、そういうことを言いたかったんじゃなくて」と感じたり、「ううむ、この人は一体何を言いたいのだ」と感じたりすることがあるのは、そんな側面が影響しているのかもしれません。

言葉というのは不思議なもので、少なすぎると上手く伝わらないし、多すぎても重要なことが流れてしまう、という特性があります。良いバランスって、本当に何なんでしょうね。「考えや思いは伝わらないもの。だから繰り返し伝える必要があるのだ」と言ったどこぞのお偉いさんは、意外に的を得ているのかもしれません。

「言葉にしない」とき、得るものと失うもの

ところで敢えて「言葉にしない」ほうを選ぶとき、そのほうが何かを得られるときって、どんな瞬間なのでしょう?

人には「言葉にならない」とか、なんなら「言葉にしたくない」時もあるのかなあと。それは例えば、言語化してしまうと、自分が大切にしたいものが指の間から零れ落ちてしまうような、そんな感覚があるときです。

微笑みとか、ハグとか、そういった言語外のコミュニケーションのほうが、むしろ多くを伝えられる瞬間もある。そういう時には無理に言葉にしなくてもいいと思うんですよね。どんな言葉を当てはめても、自分が今感じていることを伝えられないだろうと感じるときは、「うまく言葉に出来ないけど、心を掴まれるような感覚がした」とか、ただただ今自分が経験していることを言語化する、という手もあるかもしれません。

一方で、水に潜って探す=考えることが面倒で、言葉にしないのはまた別の話。その瞬間、自分の世界観を見つける機会も、自分自身や他者をインスパイアする機会も、すべて失ってしまうから。

「言葉にする」とは、世界を結晶化させること

コーチングのセッションをしていると時々「今ふと、○○という言葉が浮かんだ」みたいな瞬間があるんです。もしくは自分が今発したばかりの言葉に、「あれ、自分ってこんなこと考えてたんだ」と驚いたりする。

文章も同じで、何年も前の記事を読み直すと、「これ、本当にわたしが書いたの??」とビックリすることもあります。

自分が見ている世界は、実は自分自身にもよく見えていなくて、言葉になることで初めて、見えてくる世界なのかもしれません。そう考えてみると「言葉にする」ということは、自分の思考の海、自分の世界を、凝縮させて「結晶化する」プロセスなのかも。

液体の量が多ければ結晶になるのに時間がかかるように、思考が多ければ言葉という結晶になるのにも時間がかかる。例え形が見えても、不純物が入っていたり、期待したような透明さ=明確さが無いときもある。それゆえに、言葉にすること自体を諦めてしまう時もあったりします。

でも何度も、繰り返し、言葉にしていくと、ある時クリスタルのように透明な言葉が見つかることがあって、そんな言葉の欠片たちは、何年も経ってもその人の世界を彩る一部になるような気がします。

「言葉にする」には、トレーニングが必要

「言語化が苦手だ」という人に、時々出会います。わたしも文章を書くのは好きですが、得意かと言われるとやや謎。自分の思考がそのまま画面に打ち込まれるアプリ、早く誰か発明してくれないかなと本気で思っています。とはいえ、この数年間文章を書いてきてハッキリしているのは「言語化にはトレーニングが必要である」ということ。

あまり泳いだことの無い人が、急に人魚のように泳げることはないでしょう。「文章上手いなあ」「話すの上手いなあ」と私たちが思う人達は、自分なりに試行錯誤してきた結果、生まれた自分らしさやスタイルがあるのかなと。「言葉にする」力を鍛えると言っても、人によって話すのと書くのでは得意が違うでしょうし、どちらにせよ「言葉にすることに慣れる」ことが大前提かなと。

二年半ぐらい前に、文章を書くスピードと質を上げたくて「天狼院書店のライティングゼミ」に通ったことがありました。記事を書くためのイロハもさることながら、毎週2,000字の文章を書く宿題があったんですよね。最初はもう皆ひーひー言いながら何とか書き上げるんですけど、段々慣れてきてコツが分かってくると、スラスラ言葉が出てくるようになる。

ある種筋トレにも似ているので、少しずつでも毎日書く習慣を続けていれば、言葉にすることへのハードルはぐんと下がります。逆に言うとサボったらまた書けなくなる。人と話すことでも、ジャーナリングでも、SNSでも何でもいいので、自分に合った「言葉にする」トレーニングの場を持つことが大切かなと。

「言葉にする」とは、世界を見つけるということ

誰かが言った借り物の言葉では無くて、自分自身の言葉で表現する。それは、自分の内側を探求し、自分の世界を見つけることなのかなと思うのです。

言葉にすること以上に、「言葉にしようとする」そのプロセスの中で、自分がこれまでに気づいていなかった様々な側面に出会っていける。

あなた自身から生まれた、混じりけの無い、純度の高い言葉には、自分自身を、他者を、インスパイアする力がある。それはやがて自分の世界だけでなく、誰かの世界を見つけることにも、繋がっていくような気がします。

ここまで記事を読んでくださった人の中には、もっと誰かに言葉で伝えてみようかな、そう感じた人もいるかもしれません。是非次の二つの質問について、あなたなりの答えを考えてみてください。

「言葉にする」ことは、今あなたの世界に何をもたらしていますか?
どんな思い、どんな気づきをこの世界に届けたいですか?

自分の見ている「世界」を変える方法 世界観は内側と外側の共鳴