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「信じる」とはどういうことなのか

”自分を信じる” ”相手を信じる”
「信じる」について思うことを、書いてみました。

裏と表は解釈なのか?

5年半の海外生活から戻ってすぐ、私を悩ませたのは日本人特有の裏表でした。職場ではありがちなのかもしれないけれど、「あの人でもけっこう腹黒いですよ」なんて話をよく聞いたりして。ストレートな物言いをするフランスにすっかり馴染んでいたことも手伝って、帰国してから半年後には、私はすっかり人間不信になっていました。

「人を信じられない。」
その時私の脳裏にあったのは、私に見せている姿と、周りから伝え聞く姿と、どれが本当のその人なのだろうか、という疑問。つまり、どっちが表で、どっちが裏なのだろうか、ということ。そして「私は本当は騙されているのではないか?」という怖れのようなもの。

そもそも「人を信じる」とはどういうことでしょうか?

私の尊敬する上司はこう言いました。
「信じることの反対は期待することである」と。
自分が見ている相手の姿、「こういう人だろう」というイメージが真実だと期待すること。ここにはかなり自分の解釈が入るし、イメージの枠の外にある言動を相手がとると「裏切られた」と、感じることもある。

相手に期待していなければ「そんな一面もあるんだね。」で終わるところを、期待しているとそうもいかなくて。自分が真実だと思っていたものがそうではなかった、ということが、自分の存在も傷つけるのではないか、という怖れに変わるような気がします。

真実は人の数だけ存在する

例えば私はフランス語を話すとき、非常に率直になります。言葉は文化を継承しているから、自分の考えを伝えることを良し、とするフランス語で話すと、オブラートに包まずに話す自分がいます。彼らのユーモアに合わせて、少し皮肉っぽい物言いもしている。

では英語で話すときはどうでしょうか。私が英語を学んだのがオーストラリアだったというのもあって(オーストラリア人は陽気で明るい人が多い)、自然とテンションが上がる自分がいます。けっこう違う人格に見えると思う。

その二つは「本当の自分」ではないのでしょうか?いいえ、どちらも自分の一部。そういう自分も確かにいる。

「本当の自分」と言ったりするけれど、真実は一つではない。人は様々な顔を持っています。

上司としての自分、家族に見せる自分、友人Aに接するときの自分、友人Bに見せる自分。それぞれが真実で、それが重なったところに、自分が存在している。裏表どころか、もっと色んな自分がいる。明るい自分、落ち込む自分、愛に溢れた自分、寂しがり屋な自分。360度から同時にみることは、人の構造的に難しいから、どうしたってある角度からは見えない自分も存在している。

存在(ある)を信じる

「相手を信じる」ということは、自分が知らない相手も存在していることを認めること。それでも、自分は大丈夫だと思えることだと思うのです。

そして「自分を信じる」とは、色んな自分がいること、他者の数だけ自分が存在していることを認めること。たとえば、そのうちの一人のあなたの見方が、あなたの期待とは違ったとしても、あなたの存在は揺らがないし、あなたは確かにそこに存在していると、気づくこと。たとえば、期待するような結果を出せない自分がいたとしても、大丈夫だと思えること。

そうはいっても誰かを信じるのが難しい・・・そんな風に思っていた当時の私に、尊敬する同僚のひとりがこう言いました。
「あなたが見ているその人が本物じゃなかったとしても死なないでしょ?なら騙されてあげれば?その人があなたに見せている姿が、その人があなたに信じてほしい姿なんだから。

その同僚は、どんな私の一面も受けとめてくれるひとでした。「どれが本当の自分なんだろうか」「この人を信じられない自分がいる」そんなふうに悩んだり、迷ったりする私の心を、全部受けとめてくれたひと。

信じるって愛するに限りなく近いように思います。心を受けとめると書いて、愛。「何があっても、私はこの人と生きていく」という覚悟のようなもの。

そっか。もしかすると「自分を信じる」って、「何があっても、私は私と生きていく」ということなのかも。

「軸がブレない」って結局どういうことなのか旅するように生きるコツ「日常の壊し方」