光を見るために目があり,音を聞くために耳があるように
人間には時間を感じとるために心というものがある。
もしその心が時間を感じとらないなら,
その時間はあなたにとって無いようなものだよ。
ー「モモ」by ミヒャエル・エンデー
もし、時計が無かったら?
忙しい現代社会において、「タイムマネジメント」は永遠のテーマかもしれません。
限られた時間をどんなふうに有効活用するのか、私たちはいつでも思考を巡らせています。
「前の予定が押しちゃったから、次の予定まで30分しかない」
「電車が来るまで5分あるから、メールを返しておこう」
時間を無駄遣いしないように、と小さいころから言われてきたせいか、時計を見ては空いた時間で何が出来るか考える……どうもこれ、癖になっているような気がします。
でもちょっと待って。
もし、時計がそもそも無かったとしたら……??
私たち、どんな風に時間を知るのでしょう?
あと〇分しかない、今日は〇分節約できた、みたいな感覚も、一緒に無くなってしまう気がします。
時間はどこに「存在(ある)」のか?
そもそも「時間」はどこにあるのでしょうか?
時計は時を示す針にすぎません。デジタル時計なら、数字の羅列です。
時計の中に、時間があるわけではありません。
時間泥棒と小さな女の子の物語「モモ」の中で、作者のミヒャエル・エンデはこう言いました。
時間は人の心の中に存在している
「最近忙しい」も、「充実した一日だった」も、「時間を無駄にしてしまった」も、全部心が感じていることです。
退屈な1時間の授業が永遠に続くように感じられることもあれば、充実した1週間の海外旅行が一瞬に感じられることもあったはずです。
時間の価値を決めているのは、人の心なのです。
「私には時間が無い」と言ったりするけど、一日は24時間というのは、誰にとっても同じ。一人だけ16時間なんてことはないはずです。
「時間が無い」と私たちが感じるとき、失われているのは本当は時間ではなく、心なのかもしれません。「今」を感じることのできる心が、味わうことの出来る心が、どこかにいってしまっている気がするのです。
自分の心を見る
時間に追い立てられているような気がする。
時計を見るたびに「もうこんな時間」と思ってしまう。
そんなときは、自分の心の中を覗きに行ってみましょう。
時間は心の中に。心は、あなたの命であり、人生そのものです。
何をやらなければいけないと感じているのでしょう?
もしそれをやらなかったとしたら、何が起きてしまうと信じているのでしょう?
可能なら、お休みの日に一度、時計を全く見ないで一日を過ごしてみてください。12時になったらお昼ごはん、ではなく、お腹が空いたら食べ、疲れたら眠り、動きたくなったら散歩に行く。体が感じるままにさせてみるのです。
大昔、時計なんて存在していなかった頃のように、ゆったりした時間の流れが戻ってくると思います。むしろそこまで戻らなくても、子供のころの夏休みに同じように過ごした記憶が蘇るかもしれません。終わってしまった昨日や、まだ来ていない明日に思いを馳せることなく、「今」を感じられたあの頃に。
自然のままの時間の流れを思い出したら、自分に尋ねてみましょう。
「わたしは人生のどの時間を、大切にしたいのか?」
もしかしたら、その時間を手に入れるためには、何かを手放さなければいけないかもしれません。あなたが手放すことはできないと、長い間信じていた何かを。
時間の主導権を「わたし」に
そうはいっても、自分とは関係ない外部の要因に、時間を奪われているように感じる。そんな人もいるかもしれません。
でも本当は、誰もあなたの時間を奪ったりできない。
時間はあなたの心の中に、存在しているのだから。
取り出したり、盗んだりすることなんて出来ないのです。
だからこそ、自分の時間をどんな風に使うのか、自分自身が決めることが大切です。いつか時間が出来たら考える、のではなく、考える時間を創ると、今心に決めるのです。自分のためにスペースを空けると、決断するのです。
もし他でもないあなた自身が、自分の時間を節約しようとするなら、人生はとても窮屈なものになってしまうでしょう。
一見無駄だと思えるようなこと、何の為にもならない、と思えるようなことの中に、豊かさや創造力は存在しているのです。そんな時間こそが、心の中に、人生の中に、かけがえのないスペースを創り出してくれるのです。
本当は無駄なことなんて何もなく、自分がどう感じるかだけ。
そのために私たちは、自分の時間の使い方を選択する必要があります。
この1時間を、1か月を、1年を、「あなた」という人生の時間を、どんな風に過ごしていきたいですか?
それは、あなたにとって、心地の良い時間でしょうか?