【12/21(土)】Re:Book~ひとつの物語から始まる対話の空間~「奉仕(Service)」

クリエイティブでい続けるための10の方法を知る本「クリエイティブと日課(Keep Going)」

職人でもライターでも、創作にたずさわる人なら、一度は経験したことがあるだろうスランプの時期。

「何も降りてこない」
そう、あの空白の時間です。人によっては「全てが上手くいかないような気がする」「全部投げ出したくなる」、そんな風に感じる人もいるかもしれません。

クリエイティブな仕事に携わる人が、その暗黒の時期を乗り越えて如何にクリエイティブでい続けるか、について書かれたおススメの本が

クリエイティブと日課(Keep Going)/Austin Kleon

以前このウェブサイトでも紹介した「クリエイティブの授業(Steal Like an Artist)」の続編にあたる本で、前作同様、とっても役立つコンテンツで溢れています。

物事は始めることよりもむしろ、それを長い期間続けていくことの方が、実はけっこう難しいんではないでしょうか。クリエイターに限らず、浮き沈みは人生にはつきもの。その中で、どのように目の前のことに向き合うのか、新しい見方を見つける=クリエイティブでい続けるのか、は全ての人にとって大切な要素だろうと思います。

本の内容から、わたしの印象に残ったことを4つ、紹介します。

ノイズをおさえる

Everybody gets so much information all day long that they lose their common sense.
-Gertrude Stein
誰もが一日中、大量の情報を受け取っているせいで、自分の分別を失っている。

「Keep Going / クリエイティブと日課」

もう10年以上も前から、朝のニュースを見なくなりました。理由は、仕事に行く前に暗い気分になりたくないから。朝って脳が最もクリエイティブな時間で、そんなときに芸能人の不倫だの、事件だのがノイズとして入ってくると、あっという間に不安やストレスに支配されてしまう。

この本の中でも、「朝ニュースを見ることは、最も生産性の高い時間を手放すことになる」と書かれています。わたしはニュースを見るかわりに、朝食をしっかり食べたり、瞑想をしたり、ジャーナリングをしたり、ぼーっとする時間をとるようにしていて、それによって、その後の時間をより豊かに、クリエイティブに過ごせる感覚があります。

上記文章の中の「Common sense(コモンセンス)」は日本語ではよく「常識」と訳されたりするのですが、ちょっとニュアンスが違うかなあと感じていて。どちらかというと、英語の辞書にある「これまでの経験によって生まれる、分別ある物の見方や実用的な判断をする能力」のほうが私はしっくりきます。大量の情報が朝から頭に入ることで、その日一日の決断力が落ちてしまう感じ。

わたしが避けているもうひとつのノイズは、携帯の通知。全てのアプリの通知を切っているので、音も鳴らないし、プッシュ通知で画面が光ることもない。
すぐ返事が欲しい方には申し訳ないけれど、携帯の通知ってやってくるたびに注意が途切れてしまうので、クリエイティブな状態を保つために譲れないことのひとつなんです。

「クリエイティブと日課」の中には「携帯は便利な道具だけど、発見の3つの重要な要素ー孤独、不確実性、退屈ーを奪ってしまう。クリエイティブなアイディアは常にこの3つから生まれる」とあります。

孤独について思うのは、携帯を使っていると常に誰かと繋がっている状態になるので、自分自身と向き合う時間が減ってしまうんですよね。体は一人でも、常にそこに誰かの人生があるイメージでしょうか。
創作って、自分を表現することだと思っていて、そのためには自分の内側を探求しにいく時間って、絶対に欠かせないものだと感じます。一人で自然の中とかお寺とか出かけるときに、ふとアイディアが降りてきたり、自分の表現したいものが見えることって本当に多いんです。

それから不確実性について思うこと。今はA.I.が発達することによって、色んなことが予測可能になりました。携帯を触っていると、ちょっと前にGoogle検索したものがすぐに広告で現れるし、なんでも調べればある程度のことが分かってしまう。ビックリしたり、驚いたりすることが減っているような。
旅先、特に予定をほとんど立てないで訪れた外国の土地では、五感が活発に動き始めて色んなことに気づきます。脳がとってもクリエイティブな状態になっていて、文章もスラスラ出てきたりする。ガイドブックどおり、予定された通りに道を辿るだけだと、中々こうはいきません。

最後に退屈。携帯って、まさに退屈なときほど手がのびやすいとか。InstagramやFacebookなどのSNSに始まり、ゲームやブログなどありとあらゆる「暇つぶし」があるので、日々の中にある空白の時間を埋めてしまう。でも実は、退屈な時間が続くからこそ、脳が刺激を求めてクリエイティブな状態になることが研究で分かっていて、退屈ってとっても大切なものなのです。

因みにわたしは本当にノイズをシャットダウンしたい時は、フライトモードにしちゃうこともあります。週に何日か、PCの電源を入れない日も。フリーランスで仕事がほぼオンラインだと、意識しないと毎日画面を見ることになりかねないので、ネットの繫がりを完全に切って、自分自身といる時間を作っています。

仕事とは、遊びである

You must practice being stupid, dumb, unthinking, empty. Then you will be able to DO…Try to do some BAD work-the worst you can think of and see what happens~
-Sol Lewitt to Eva Hesse
バカになる練習をしないと。余計なことを考えずに、頭をからっぽにするんだ。そうすればきっと出来るようになる。たまにはひどい作品を作ってみるのもいい。自分の中で最悪だと思うような作品を作って、様子を見てみる。

「Keep Going / クリエイティブと日課」

日本を代表するアーティストのひとり、横尾忠則さんの「アホになる修行」という本が好きです。アホになるとか、バカになるって、クリエイティブでい続けるためにとっても大切な要素なのかもしれません。

わたしは16年の職人人生の中で色んなシェフと働いたのですが、「この感性すごいなあ」と感心してしまう人達って、いつも「遊び心」を持ってたんですね。こんなふうにやってみると面白そう、が基本の考え方で、お客様に受けるかどうか、売れるかどうか、は二の次。

職人の世界って実は離職者がすごく多くて、専門学校時代のクラスメイトは卒業して3年後には10%も業界に残っていなかったんです。好きなことを仕事にすることの難しさって、趣味だったら楽しかったことが、仕事になった途端に結果にフォーカスしてしまって、急に重みを増してしまうからかなと思います。なんというか、言い方は悪いけど「真面目になりすぎると終わり」というか、遊びの部分を残しておく必要があるのかなと。

20代の記憶でわたしがよく覚えているのは、休みの日にも料理書専門の本屋に行ったり、食べ歩きに行ったり、道具を見に行っていたこと。周りからは「仕事熱心だね~」と言われていたけれど、わたしの中では仕事というより趣味に近かったので、仕事をしている感覚では無かったんです。

クリエイティブだと言われる職人たちは大抵、この趣味と仕事の感覚が絶妙なバランスのところにあって、うまくそれを保っているんだろうなと思います。ピカイチに感性が優れてたシェフの口ぐせは「出来たら面白いやん」で、本当に子どもの遊びみたいな感覚でモノを作っている。出来なくても「あかんかったわ」なんて一瞬ガッカリするけれど、次の瞬間にはもう新しい面白いことを考えていたりして。

肩の力を抜くこと。軽やかに色々試してみること。遊んでみること
なんだか遊び心を忘れているような気がするときは、子供みたいに風船膨らませたり、ゲームをして本当に「遊ぶ」こと。そんな風に、クリエイティブな状態を保てると素敵ですよね。

たった一人の誰かのために贈る

What I’m really concerned about is reaching one person.
-Jorge Luis Borges
わたしはたった一人の心に訴えかけることだけを考えている。

「Keep Going / クリエイティブと日課

写真でも文章でも創作活動を世界に知ってもらうには、SNSの活用は今は欠かせない時代です。世界中の人と繋がれるとっても便利なツールだけれど、避けては通れないのがオンライン指標。いいね、シェア、フォロワーの数。気にしないでいようと心に決めても、なぜこんなにも難しいのでしょう?

この本の中の「ただのクリック数に果たしてどれだけの意味があるだろう?」という言葉が、わたしはとっても好きなのだけど、1000いいねがついている投稿が1か月後にも自分の心に残っているかなんて分からないし、なんなら数日前の投稿でさえもう新しい記憶で上書きされていることもある。

何より勿体ないのは、自分の投稿を「数字がとれるように」、巷のマーケティング戦略に沿って変えていくと、コモディティ化が起きてどこにでもありそうな表現になったり、自分でも何が表現したかったのか分からなくなってしまうこと。本当は自分自身がしっくり来ているかどうか、何度も見返したいような作品になっているかどうか、という視点のほうが大切なはずなのに。

本の中ではさらに、「調子が乗らない時には、たったひとりの誰かに贈るように創作する」ことを勧めています。誰かの心を動かせる作品って、作り手の心が動いているものだと思っていて、それって不特定多数の人より、たった一人の大切な人を思い浮かべるほうがやりやすいのかなと。

たくさんの人に好かれることを考えるよりも、たった一人の人のために心を込めて創る。それはやがて、多くの人の心を動かすかもしれないから。

それもまた、過ぎ去る(This, too, shall pass.)

It is said an Eastern monarch once charged his wise men to invent him a sentence, to be ever in view, and which should be true and appropriate in all times and situations. They presented him the words: “And this, too, shall pass away”.
昔、東方のある君主が、どのような時や場面にもふさわしく、絶対的に正しい、心に残る文章を考えるよう賢者たちに言いつけたと言う。すると彼らは「そしてこれもまた、過ぎ去るであろう」という言葉を考えた。
ーエイブラハム・リンカーン

「Keep Going / クリエイティブと日課」

わたしがこの本を手に取ったのは、スランプになることなくクリエイティブでい続けたかったから。でも、歴史に名を遺すどんなアーティストや小説家たちにも、生み出せない時期はあったわけで、そもそもスランプに陥らないようにするという考え自体に無理があるのかもしれません。

溺れそうになった時に一番やってはいけないことは、ジタバタともがくことだと言われます。上手くいかない時、クリエイティブで無くなっている自分を見つけた時に大切なことは、まずその事実をしっかりと受け止めることで。絶え間なくやってくる波に逆らわず、やがて自分らしい表現ができる時を信じて前に進み続ける

ちょっと話は変わりますが、少し前に京都の世界遺産のひとつである「西芳寺」別名「苔寺」として有名なお寺に行った時のこと。入口でいただいたパンフレットに「夏の苔は乾いていますが、だからといって、水をあげないと可哀そう、というのは人間の驕りです」と書いてあって、ドキリとしたんです。苔には苔のリズムがあって、夏の水やりで火傷してしまったり、台風などに耐えられない状態に育ってしまうこともあるのだとか。

自然というのは私たちに色んなことを教えてくれていて、自然の一部である私たちの中にもやっぱり四季があって、春夏秋冬と必ず季節が巡るように、上手くいかない時、上手くいく時も、どちらもずっとは続かない。

そういう意味でこの「それもまた、過ぎ去る」という言葉を意識することって、めちゃめちゃパワフルだと思っていて、物事の変化に一喜一憂せずに、自分らしくいることを助けてくれる気がします。


「クリエイティブの日課」はマインドフルネスの実践に近い

西芳寺でいただいたパンフレットには、もう一つ素敵なことが書かれていて「本日ご覧いただいてる姿と同じ姿になることは、この先二度と無いでしょう。ありのままの”今”との出会いをお楽しみください」とありました。

「クリエイティブの日課」には上にあげた以外にも、日々を丁寧に過ごすことや、自分が集中できる環境を整えることについての洞察が溢れていて、「今、この瞬間を味わう」マインドフルネスにも通ずるところが多そうです。

絶え間なくやってくる人生の波に翻弄されず、前に進み続けたい方は是非、この本を手に取ってみてください。アーティストの眼を通して見た、クリエイティブでい続けるためのヒントを、自分の人生に取り込めるかもしれません。

▼創造力や感性についてさらに読む。

クリエイティブになるための10の方法を知る本「クリエイティブの授業(Steal like an Artist)」 世界観は内側と外側の共鳴

▼自分の世界観を言語化していくサポートはコチラ。